マダガスカルの貧困撲滅を支援する会

ペドロ神父のメッセージ

本家Akamasoaのサイトの原文(フランス語)がこちら↓ですが、これの和訳を以下のとおり試みました。

※このメッセージは、読んでみると感じられると思いますが、(おそらく2015年ごろに)なにかの機会にペドロ神父がされた演説をもとにしたものだと思われます(ペドロ神父が話されている動画も見て頂けると、確かに、と納得頂けるかもしれません)。その前提で読んで頂けると、少し読みづらくても頭に入りやすいかもしれません。

※以下の和訳は、Google翻訳を下地にしながら、フランス語中級者の管理人が、機械の誤訳を正すのに苦しみつつも修正したものです。自然な日本語ではありませんし、まだ意味が分かりにくい所も残っていますが、なかなか訳すのが難しく、大枠で意味を捉えるつもりで、ご容赦いただければと思います。

※カッコの中は訳者が補足したものです。

親愛なる友人たちへ

正義、発展、分かち合い、平和。もしあなたがこれらのことに関心をお持ちであれば、どうぞこのページにお立ち寄りください。私たちの闘い、すなわち発展から取り残された全ての人々や子どもたちの尊厳を取り戻す闘いについてご覧に入れます。この闘いはまた、私たち全員にとっての社会正義に向けた闘いでもあります。なぜなら、人間として我々は、自分たちの兄弟姉妹(同胞たち)をただ一人として取り残すことはできないからです。26年間、私たちが来る日も来る日も闘ってきたこの闘いは、ただのNGO(非政府組織)の活動という以上に、連帯・行動・友愛の運動となりました。

貧しい人々の信頼を得る

私たちは活動を始めてすぐ、貧困に喘ぐ人たちに自信を取り戻してもらうには、彼らの中に入り、彼らと一緒に行動する必要があるのだと悟りました。絶対に彼ら抜きではできません。そしてこの、「自信を取り戻す」という努力は、何年も、時には何十年もかかる長い道のりです。何十年もの間社会から追いやられてきた人々は、その社会に戻る時もまた同様に、何十年もかかるのです。

時が経つにつれ、貧困に喘ぐ人々は我々を信頼し始めました。その理由は、我々が彼らとの約束を全て守り、そして一緒に始めた数々のプロジェクトを全て成し遂げたからです。彼らは、我々が彼らのそばに居続け、そして我々の言葉はすぐさま行動となって現れることを理解したのです。なぜなら、理屈や約束、綺麗事、あるいは安っぽいナショナリズムを煽ることによって貧しい人々と分かり合うことはできないからです。貧しい人々とは、彼らの中に入り、最も信頼できる言葉である行動によってのみ通じ合うことができるからです。

ある貧しい男が路上やゴミ処理場で生活しているとき、彼は途方もなく不確実な世界を生きています。彼にとって、未来とは明日ではありません。今晩、何かを口にできるだろうか?子どもに何か食べさせてあげられるだろうか?安全な場所で寝られるだろうか?このような非人間的な状況に置かれた彼に対し私たちがすべきことは、彼のそばにいて、励まし、プロジェクトを作り、働き、そして家族の面倒を見るよう、特に子どもたちがより良い人生を送れるよう責任を持つように励ますことです。そして、この貧しい男は、私たちが一緒に計画し、考えたことが、日常生活の中ですぐに形になり始めるのを見ると、彼が閉じ込められている貧困とは決して運命によって定められたものではなく、選ばれることを乞い願いながらも当選後は彼らが貧困を抜け出す手助けは何もしない人々によって作られた不公正なのだと理解し始めます。私たちは、魂のない政治家がどれほど彼らの人々を虐げ、行き止まりと欺瞞的な道に導くかをよく知っています。

活動を始めた当初、私たちは全ての家族との対話を何十回も重ねなくてはなりませんでした。しかし私たちは、もし彼らと同じ状況に置かれた場合、取り残された人々を常に襲うこの人生への絶望と無力感に自分たちも陥るであろうことを知っていました。

手の中は空っぽでお金もありませんでしたが、神は最も貧しい者を決して見捨てないという信仰を持って、私たちは立ち直り始めました。私の呼びかけに応えてくれた十数人の若いマダガスカル人を連れて、私たちは毎日彼らに会いに行きました。神だけが、私たちがその間に苦しんだすべての困難、盗難、嫉妬、暴力、恐喝を知っています。しかし、私たちはまた、時間が私たちの側にあることも知っていました。私たちが彼らと一緒にいる時間が長ければ長いほど、彼らが変わる可能性が高くなります。すべての希望が失われることはないと信じながら、なんでもありの厳しい場所で耐え抜き、そして何よりも、慈悲と不屈の愛をもって、つまり、許し、忘れ、そして行動し続けました。これらは、私たちと彼らの間の信頼を引き起こすための鍵でした。その瞬間から、ある平和がこの痛み、苦しみ、暴力、無秩序の場所に生まれました。

執拗で終わりのない戦い

利己主義、嫉妬、無関心など、人間の悪い側面との26年間の日々の闘いの末、私たちは、私たちの戦いには一度たりとも勝利は訪れないということを理解しています。治癒した傷はいつでも、どの瞬間からでも再び開き始めます。だからこそ、アカマスのチーム全体、オフィス、マネージャー、教育者、介護者、労働者とともに、私たちは貧しい人々が彼らの内に再発見したこの自信を常に強め続けています。この半世紀に渡る絶え間ない戦いを、近くの首都の誘惑が壊したり痛めたりしないように。

これらの現代の誘惑とは、簡単なお金による簡単な生活、つまり、売春、盗難、詐欺、目標のない生活のことで、私たちの12,000人の学校に通う子どもたちや若者に大きな害を及ぼす可能性のある誘惑です。なぜなら、私たちは人間を消費者や数字や金持ちになるための梯子としか見ないような消費社会と現代文化に巣食うこれらの災難から、私たちの生徒を守れるようなワクチンを持っていないからです。

アカマスでは、50万人が通過し、一時的な助けを与える希望のオアシスを建設しました。25,000の人々は私たちと一緒に残り、私たちは一緒に町を建設し、友愛、共有、相互理解、相互扶助のコミュニティを作りました。これを25,000人の規模で行うことができたのならば、50,000人、100,000人、いえ100万人の規模でも行うことができます。しかし、それを行うためのお金を得る前に、情熱があり、正直で勇敢で責任感のある、子供たちを救うために自分の命を危険にさらすことをいとわない男性と女性が必要です。

人間を変えることは一夜にして起こりません

アカマスを訪れる多くの訪問者、そして国でさえ、道端からきた貧しい家族が私たちの家に到着すると、簡単に変わると信じています。これはフィクションです。奇跡を除いてほとんど起こりませんが、奇跡は1世紀に1度しかありません。我々は貧しい人々を、善良で、感謝し、誠実で、約束を守る人として理想化するべきではありません。実際は、貧しい人は、彼が非常に懸命に生き、生き残るために、嘘をついたり、だましたり、盗んだりすることに慣れなければなりませんでした。彼にとっても、真実の中で生きることは非常に困難であり、それは一人で出来ることではなく、またすぐ実現するものでもありません。目標も目的もなく、道徳もない人生の轍から抜け出すことは、長い闘争なのです。

私は、ここアンタナナリボの路上やゴミ捨て場で極度の貧困の中で生きてきた貧しい人々について話しています。そこで生き残るためには、隣人よりも暴力的であり、他人を支配する前に他人を支配することが必要でした。そのような暮らしは弱肉強食のジャングルでの暮らしのようなものです。こういった路上に暮らす人々と生活し、対話できるようになるには、まず彼らの生活、メンタリティ、伝統、習慣を全て吸収し、そしてとりわけ彼らの言語を話す必要があります。私たちは貧しい人々に、私たちは自分たちを喜ばせたり、感謝を集めたり、もしくは彼らに道徳的なアドバイスをしたりするためにいる訳ではないことを示さなければなりません。私たちがそこにいるのは、彼らが親として子供たちにより良い未来を築くのを助けるためです。子供たちが学校に行き、教育を受け、食べるのに十分な世話をし、よりまともな住宅に住めるようになるためです。そしてまた、尊敬と​​相互援助による普通の生活を再構築するためです。こういった環境は、人や家族が彼らの考え方を変え、より正直で、より本物で、より正しくなるのを助けます。それから、人は自分の人生やその子供たちの人生に責任があること、人生には意味があり、子供たちと家族の人生にも目的や意味があることを啓蒙し、説明するのに何千もの会合が必要でした。人はまた彼の言葉を守る人であり、その人の「Yes」は本当の「Yes」です。この人間を再建するための戦いは今日まで続いており、これからも長く続くでしょう。そして、これはマダガスカルやアンタナナリボに固有のものではなく、社会から排除され、大都市の端で拒絶され、放棄されたすべての人々に当てはまります。

連帯の仕事がもたらした奇跡

この極度の貧困やメンタリティの悪化や先祖が築いてきた文化の悪化と戦うために最前線にいなければならないのは、この国の男性と女性であると私は信じています。貧困がこれらの貧しい人々の心の中で彼ら自身のアイデンティティ、彼ら自身の歴史、そして彼ら自身の尊厳を殺したからです。すべてを失ったこれらの人々を助け、尊厳と生きる喜びを取り戻す手助けが最もできるのは、彼ら自身の兄弟(同胞)であると私は確信しています。なぜなら彼らは同じ家族、同じ国、同じ文化の一部なのですから。
 
私は、同胞を愛し、毎日彼らを助け、この貧困との戦い、人間であることを殺す牢獄との戦いに勝つために犠牲を払っている若いマダガスカル人、特に女性ですが男性も含め、彼らに出会えたことを嬉しく思います。
 
私は、私たちを信頼し、このアカマスの奇跡を継続するためにいつも助けてくれている世界中のすべての友人に感謝します。なぜなら、かつては社会の外にいて、暴力的で、家がなかった人々が、今日では採石場で、手工業で、多くの責任を持ち働いている。この奇跡について話すことができるからです。昨日、路上で物乞いをしていた子供たちが今日、学校にいるのです。350人のアカマスの教師のうち、半分は25年前に助けを求めに来た両親の子供たちです。これにより、アカマスの継承が保証されます。しかし、この奇跡は、私たちが毎日慈悲深く、最貧層の人々の話を聞き、近所の人々を訪ね、彼らの生活を間近で見て、新たな世代と共に起こる新たな問題があればすぐさま解決策を探ることを約束し続けなければ、持続することはできません。

...しかし壊れやすい奇跡

アカマスでは、我々は3代目で、すでに4代目に入ってきています。それにもかかわらず、私はこの奇跡はとても壊れやすいと感じています。それでも、情熱、意志、愛、忍耐力、そしてチームワークがあれば、私たちは立ち続け、より良い生活に向かっていくことができます。しかし、私たちが貧しい人の言うことを聞く時間がなくなるその日、私たちが彼らに「待って、明日来て、今日はあなたを迎える時間がない」と言い始めたその日に、私はその日が下降の始まりであると確信しています。

その意味で、アカマスを経営する何百人もの兄弟姉妹に、敬意と愛情を持って貧しい人々を受け入れ世話をし、彼らの話を聞き、すぐに解決策を見つけるように言い聞かせています。目の前にいる貧しい人々の人間の火花を目覚めさせるために私たちが25年前に使用したのと同じ「レシピ」は、今日でも変わらず有効です。尊敬、愛は決して時代遅れになることはありません。それらは常に、最も硬くなってしまった心と魂を動かし、変えることができる価値あるものです。

富を分かち合うことは人間の義務

世界中の親愛なる友人の皆さん、私は皆様が、皆様の信念により、我々を毎月の少額の寄付でご支援いただきたいと考えています。それは極度の貧困、飢餓、不公正、そして人間を破壊するこれらすべての惨劇との戦いにあなたが参加しているということです。私は皆様に、分かち合うことに決してうんざりしないようにお願いしたいと思います。なぜなら私たちが受け取ったすべての富は神からの贈り物だからです。しかしその次は、世界中の同胞たちについて考え、謙虚さと敬意を持って分かち合うことは、私たちの役目です。
 
助けることはすでに天から来る恵みです。私がもっと何かを持っているなら、与えることは人間の義務です。インドのことわざにあるように、私が与えていないものは失われます。私が信者であるならば、私は助けるべきもう一つの理由があります。もし貧しい男が私の同胞であるならなおさらです。助けることは義務ですが、決して見下すような恩着せがましい贈り物であってはなりません。イエスが言われたように、あなたの左手にあなたの右手が何をしているのか分からないよう、与えなくてはなりません(Mt 6, 3)。
 
アカマスでは、ある援助が、ここの貧しい人々の考え方にまったくそぐわなかったり、他の何よりも多くの問題と依存をもたらしたのを見て、しばしば援助を拒否しました。私たちは、何かの見返りを求める訳でもなく自信を持って与えてくれた人々からの友愛の助けだけを受け入れました。

貧困は人の心を殺す

親愛なる友人、親愛なる兄弟、親愛なる姉妹、このウェブサイトにアクセスしようとしているあなたは、世界の他の多くの運動と同じように、私たちが連帯と発展の運動であることを知っています。私たちは決して誰かのロールモデルになりたくありませんでした。

だからこそ、私たち自身が多くの絶望のトンネルから抜け出すための可能な方法を見つけるために自分自身の体と魂をコミットしているので、私たちが何をしたかを見に来る必要はないと私たちは信じています。そして、すべての人間は、自らのいる場所で、貧困からの新しい道を造るのに十分な兄弟愛と神の霊を受け取っています。これらの道の多様性の中で、何百万人もの人間の物質的な全ての貧困を根絶できるほどの大きな富を見つけるでしょう。

私たちのことをいえば、私たちは今ここマダガスカルで、先祖の知恵に富み、文化的価値に富み、人間性に富んだマダガスカルの人々と共にただ我々の義務を果たしてきただけですが、極度の貧困が、彼らの誇りであったフィハバナナ:家族の連帯を粉々に砕きました。
 
極度の貧困は、すべての病気の中で最悪です。心を殺すからです。そして、人に心がなくなると、その人はもはや人間社会の一部ではなくなります。マダガスカルのことわざに伝わっています:人を作るのは、心です。マダガスカルの祖先のこれらの言葉はなんと真実で聡明なことでしょう!このことわざは人類としての世界的な遺産です。

南北の不平等

 このサイトの親愛なる訪問者の皆さん。私はまた、南半球、特にアフリカの極度の貧困は北半球でも戦わなければならないと確信しています。北半球の浪費が南半球をどのように傷つけているかは誰もが知っています。

最貧国の天然資源の略奪は、世界中のメディアの見るところ、知るところで行われ、それは裕福な多国籍企業により行われ、彼らは彼らを支持するその国のエリートを優遇し、すべての人々に向けられた富を享受することに専念しました。すべての種族の金持ちは何の問題もなく手を組みます。なぜなら彼らを結びつけるのはお金だからです。しかし、そのお金が彼らを破壊し、肥大した虚栄心で彼らを死に至らしめます。彼らは、きれいな水、医療と健康へのアクセス、教育、まともな住宅と雇用など、最も必要不可欠なことに苦しむ自分たちの人々を前にして、これ見よがしに見せびらかします。
 
奇跡はまた、アフリカとマダガスカルでこれらのエリートを目覚めさせ、一部の先進国のエリートが行ったように、人々を高みに引き上げるために、彼ら自身の子供、彼ら自身の若者、そして彼ら自身の人々の世話をするように彼らを後押しすることもできます。

権力者たちに責任があります

すべての発展の中心は、心と魂と精神を持った人間です。お金は手段に過ぎません。もちろん必要ですが、手段にすぎません。脱植民地化以来、どれほどのお金がアフリカに届いたでしょうか。そしてどれほどのお金が、学校、病院、道路、衛生設備の建設に使われることなく消えたでしょうか。逆に、腐敗した国民の手により横領され、豊かな欧米の銀行に戻ってくるのです!もし国際機関や友好国から寄付されたこのお金がすべて正しく使われていれば、今日のアフリカには貧しい人々、空腹の子供たち、大陸のすべての首都のスラム街はありません。リーダーにとって、自分の人々が飢え、自分の子供たちが路上で眠っているのを見るのはなんという恥でしょう。
 
この非人道的な貧困は、私たちの利己心、恐れ、浪費の結果であるだけでなく、強くなるためには兄弟を打ち負かさなければならない、私たちは他の人よりも強い、と思わせる自惚れの結果でもあります。兄弟愛、分かち合い、愛の精神を私たちに吹き込むことによって私たちを創造した創造主は、私たちが別の生き方で、兄弟姉妹として、相互扶助と思いやりで、しかし何よりも正義と公平な分かち合いで、地球上のすべての人間のために生きることを望んでいます 。これは、フランソア教皇が彼の最後の回勅ラウダート・シで長く大きく強調していることです。そこで彼は、地球は私たちの共通の家であり、私たちが尊重し、育み、愛さなければならないと明確に述べています。

アフリカの若者を助ける

私は、アフリカの若者たちは、遅かれ早かれ、ブルキナファソ、チュニジアや、ネルソン・マンデラによって人種の虐殺が回避された南アフリカですでに行っているように、人民のために何もせずに、どんな犠牲を払っても権力に固執する強奪的で腐敗した指導者に反抗するだろうと確信しています。 しかし、他の国々は、新しい当局が古い当局と同じくらい腐敗していることが明らかになり、再び自国民を失望させたため、それほど幸運な変化は見られませんでした。
 
アフリカの若者は有望です。なぜなら、若者がいるところには希望があるからです。ヨーロッパの人々は裕福で知的ですが、希望の源はヨーロッパではありません。希望が生まれ宿るのは、物質的な富ではなく、人間です。これが、地球に希望を抱く偉大な若者がいるこの国々を支援する責任が、すべての人間にある理由です。100年のうちに、私たちはアフリカや若者の多い国々に、経済を救うために若者を送ってほしいとお願いせざるを得なくなるでしょう。それはすぐやって来るのですから、なぜ今すぐやらないのでしょうか?もちろん、敬意と一定の順序でそれをしなければなりませんが、私たちはいつも、働く者は誰でも彼らを助けなければならないと言ってきました。そして、どれだけの若いアフリカ人が立派な未来を作りたいと思いながらも、その手段を持ち合わせず、結果として人間の絶望の淵に陥るのでしょうか!ですから、私たちも皆敗者なのです!

私たちの人道的な心

世界中の読者の皆様、インターネットを通じて、国家が作った境界を越えて私たちはコミュニケーションをとることができ、人間がゼロから発明した人種の優劣のあらゆる偏見を超えてコミュニケーションをとることができます。私たちはここでは、ひとりの人間としてコミュニケーションを取ります。私たちの誰も、そのような場所で生まれたことはありません。あなたが生まれた場所は美しく、そして並外れています。神はそれを望んでおられました。しかし私は、私がいる地域を整えた後、貧困から抜け出すのに苦労している人々や私たちの友愛的な支援を必要としている人々の地域を発展させるのを手伝うように招待されています。
もちろん私は、私たちがこの友愛の相互扶助と正義の精神を実現できたのは、世間知らずのお人好しだったからではないことを認識しています。困難な場所で働く私たちの兄弟姉妹の多くは、貧しい人でも金持ちでも、人間のエゴと暴力に失望し、傷つけられてきました。しかし、私たちは皆、一つの宗教、すなわち愛やお互いの尊重、共有、友愛の宗教を持ち、助け合うべきでしょう。なぜなら助けることとは自分の人生に意味を見つけることだからです。それは幸せを感じることです。なぜなら我々の創造主のイメージの中では、我々は兄弟姉妹を愛し、お互いに助け合うことでより人間らしく、そして善を行うための愛の力とエネルギーを私たちに吹き込んでくれた創造主のイメージにより近づけるためです。
 
ああ!私たちの兄弟の中には狂信と原理主義の深淵に陥り、人間の救いの救済策として死を蒔く人がいますが、実際にはすべての人種と宗教の人々を救い、幸せにし、団結させるものは愛しかありません。いつの日か、彼らが暴力と死の道から戻ってきて、自由の尊重が神聖であることを理解することを願っています。
 
私の兄弟、この創造主、すべての人間の神が私たちを団結させ、私たちを変え、私たちの地球をより公正で、より友愛的で幸せにするのを助けてくださいますように。これはユートピアではありません。あなた、私、そして私たちが、今日からでも、私たちが生きている毎日から、この知恵、節度、共有、そして私たちが神から授かった才能の精神で行動することを約束するなら、それは現実になりえるのです。
 
さぁ、私たちの美しく壮大な地球への巡礼の旅の中で、唯一無二の人類のため、正義と平和のための戦いを続けましょう。
 
ペドロ神父

(スマホの場合は右上の「三」のボタンから他のページに飛べます。パソコンやタブレットの場合はページ上部の左側にメニューがあります。)

powered by crayon(クレヨン)